『文房具をめぐる物語』その4

文房具カフェ アーカイブ

『文房具をめぐる物語』その4

江戸時代の寺子屋で子どもたちが書を学ぶ様子
寺子屋で子どもたちが手を動かして学ぶ様子を描いた資料画像。
文房具カフェ公式Xで連載している「文房具をめぐる物語」のアーカイブです。

以前の話でも触れたように、いま私たちが当たり前のように使っている「文房具」あるいは「文具」という言葉が今日的な意味合いで使われるようになったのは明治に入ってからです。

幕末頃には「文房器具」という記述や、たとえば福沢諭吉の『学問のすゝめ』(初版:1872年)には「書籍を買い、文房の具を求めて」という記述があり、まだ「文房具」という言葉が定着していない様子が伺えます。

学問のすゝめの引用に関する資料画像
「文房の具」という言葉が見える近代初期の文脈を補う資料画像。

今回は主に近世江戸時代の話をしますが、これまでと同様便宜上「文房具」という言葉を用います。

戦国時代の庶民の「落書き」

近世以前は歴史の表面に残りやすい貴族や公家、武家の資料などが中心的な素材になったわけですが、近世に入ると、庶民レベルの膨大な痕跡が残っていて、誰が、どこで、何のために、どのように文房具を使ったのか?ということが、広範囲にわたってぐっと見えやすくなってきます。

ただし注意しなくてはならないのは、近世になって初めて多くの人々が文字を書くようになったわけではないということです。

たとえば書道史においては、鎌倉時代には貴族以外にも手習が普及し、寺院では庶民の子どもを集めて学ばせていた記録が残っています。室町時代には、後の寺子屋の前身ともいえる場が、庶民の間に広まりつつあったという指摘もあります。

実際に貴族や武家の上層階級ではない、いわゆる庶民が文字を書いていた痕跡として面白いのは「落書き」です。戦国時代の頃、観音信仰などの広まりとともに、寺社を訪れた人々は自分の名前や居住地を壁や柱などに「落書き」するようになりました。現在も続いている「千社札」(神社や寺院に訪れた記念に自分で貼る札)のようなものですね。このような「落書き」は近代に入ってからも続いていて、ちょっと古い神社や寺院の柱なんかに今でも結構残っていたりします。

千社札の資料画像
寺社を訪れた人々が名前や居住地を残した文化を補う資料画像。

生活のために必要な道具になっていく「文房具」

近世は徳川幕府の全国統治のもと、文書主義が急速に拡がった時代でもありました。それは武家や官僚などの支配者層にとどまらず、下級武士や農民、職人、商人まで及びます。

近世の文房具は、書院や茶室の中で美意識を支える道具であるだけでなく、暮らしそのものを回すための道具へと、大きく比重を移していきます。農村では土地や水の取り決めを記録に残すため、商家では日々の取引を書きつけるためといった具合に、生活の必需品となっていきました。大人だけでなく子供たちも寺子屋に通い、墨をすり、筆を持ち、半紙に向かうようになります。

ポルトガル人の宣教師ルイス・フロイスが16世紀後半に「日本の子どもたちは読むより先に書くことから学ぶ」ことを印象的に記しています。ここ実は非常に重要で日本人は学びにおいて「書くこと」から入っている。すなわち、まず文房具を手にして、手を動かすことが「学び」の入口になっているんです。

文房具の需要増加とともに、国内生産と流通が急速に発達していきました。和紙や筆、墨、あるいは「矢立」と呼ばれる携帯用の筆記セットまで、庶民の需要に応えるかたちで全国的に生産と流通が厚くなっていきます。

矢立の資料画像
携帯用の筆記具である矢立。暮らしの中へ文房具が広がっていく流れに合わせて配置。

「本」と「文房具」の親密さ

中でも「紙」の生産と流通の増加が木版印刷技術の発展と相まって「本」を大量に市場に供給するようになります。

ここで非常に興味深い現象が起こります。「本」は読むためのものですが、それは同時に「書かれるもの」であり「書くための道具=文房具を必要とするもの」でもありますよね。そうすると本の流通業者つまり本屋や本の問屋が、紙・筆・墨・絵具といった文房具類を一緒に取り扱うようになります。実はこれ、西洋における「ステーショナリー」という言葉の成立とほぼ同じことが日本でも起きていたっていえるんです。

「ステーショナリー(Stationery)」の語源は、、中世ヨーロッパの stationer にあります。これは古くは bookseller、つまり書籍商や出版者を意味していました。その書籍商が「本」周辺の紙やペン、インクなどを一緒に扱うようになります。そして stationery が紙や筆記具の総称として定着していったのです。 「本」を売る商いと、「書くための道具」を売る商いが、もともと近いところにあった、江戸時代の日本でもかなり似たことが起きていたというわけです。

江戸時代の絵草紙屋の資料画像
本を扱う場と、紙・筆・墨などを書くための道具を扱う場は近い関係にあった。

現在につながる二次創作の源流「パロディの世紀」

江戸時代に「本」が全国的に流通するようになると、それを書くための道具である文房具は一次創作者だけでなく、読む側の需要を喚起します。人びとは本を読むだけではなく、写本として写す、余白にメモを書き込む、挿絵に色を塗ったりしました。さらに本の内容を自分なりにアレンジして別の作品を仕立てるという作り方が大流行します。

たとえば中国の白話小説(『三国志演義』や『水滸伝』『西遊記』など )や『源氏物語』『伊勢物語』などの古典を題材にして、もじり、ずらし、当世風に置き換えた、いわば二次創作的な作品が出版物として商売となるほど数多く市場に流通するようになります。現在でこそ近世の傑作と称される上田秋成の『雨月物語』や曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』なんかも広い意味では古典を題材とした二次創作的な作品と捉えることもできます。 こうした近世のある種の流行を日本における「パロディの世紀」と整理する研究もあります。私が非常に興味深いと思っているのは、この時代の「二次創作的な作り方」が文学あるいは絵手本などを通じて模写を促した絵画芸術などで大流行し、多様な芸術表現を拡げていったことです。つまり自ら文房具を手にして、写すこと、真似ること、遊ぶことが新たな表現を創り出していった時代だと強く感じるんです。

見立源氏浮舟の資料画像
古典を題材にした見立てやパロディ的な表現が広がった時代を補う資料画像。

現在、生成AIによる小説やイラストなどについて議論が盛んに行われていますが(私自身は肯定派でも否定派でもありませんが)、「パロディの世紀」とも呼ばれる近世における二次創作的な作品は、少なくとも「人が手を動かして作った」という身体感覚の痕跡が色濃く残っているように感じます。そこにはそれぞれの作り手の筆さばきがあり、自分の苦手を克服しようとする工夫あるいは逸らしがあり、自分の好きにフォーカスする偏愛があり・・・だから、人間の作るものはやっぱり面白い、と私は思うんです。

社会のなかで「できるようになる」ための道具

さて、こうしてみていくと近世は文房具が「ごく一部の教養人のための道具」から、「多くの人が文化に参加するための道具」へと変わっていった時代と位置付けられそうです。 農民や商人、物書き、絵描きにとって文房具は、社会のなかで「できるようになる」ために欠かせない道具だった。字が書けるようになる、手紙や本が読めるようになる、勘定ができるようになる、作品をつくれるようになる。

そしてこうした流れは近代に入り、日本のビジネスやアートの発展を支える文房具の洗練をもたらし、世界でもトップレベルの品質や多様さをもつものとして非常にユニークな日本の「文房具」というジャンルを形作っていくことになります。

次回は近代以降の「文房具」について話したいと思います。

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